風立ちぬ見た(ネタバレあり)

見たのは結構前でいまいち感想がうまく日本語にまとまらなくて困っていたのだけど書いてみよう。

めっちゃネタバレあるのでそこらへんパスしたい方は。


























俺がEDのひこうき雲を聴きながら最初に浮かんだ感想は「美しい作品だな」と「宮崎駿って天才かもしんねえな」だった。


「人生はゲームだ」なんて言葉があるように、人間っていうのはそれぞれ色んな人生ゲームを何重にも内側に設定しつつ進めている。


それは肩書であったり社会的な地位であったり趣味であったりダイエットであったり色々だ。
その中で日々乗ったルールの上で結果を出し、たまにゲームごと終わらせて次へとゲームを進めることで人生を進めていく。
二郎は最初「飛行士」としてゲームを始めようとしたところ、目が悪かった為にそのゲームは潰え、伯爵との対話によって「設計士の堀越二郎」としてのゲームが始まった。
一方、菜穂子はというと「病弱な菜穂子」としてゲームがスタートし、二郎と出会いそこから「病弱で二郎の美しい妻である菜穂子」としてのゲームになる。


結婚して東京で暮らす2人は「僕たちは今、一日一日をとても大切に生きているんだよ」と、答えるほどに命を削りながらそれぞれのゲームをクリアへと進める。

零戦の飛行テストへと向かう二郎を見送った菜穂子が、東京から病院へと戻った後で、黒川夫人は「美しいところだけ好きな人に見てもらったのね」とつぶやいた。
つまり菜穂子は「病弱で二郎の美しい妻である菜穂子」としてのゲームをクリアギリギリまで進め、そのまま人生という一番外側にあるゲームの電源ごと引っこ抜いて終わらせた形になった。
二郎はというと零戦を完成させたことで「国の為の設計士で病気の妻帯者持ちの堀越二郎」というゲームをクリアする。


最後の夢のシーンの伯爵との対話で二郎は
「君の(創造的人生の)10年はどうだったかね、力を尽くしたかね」という問いに
「はい、終わりはズタズタでしたが」とやつれた顔で答えた。
夢の中では菜穂子が待っていた。二郎は菜穂子に迎えられてしまうのかというところで
「生きて」
と言って菜穂子は離れていきEDが流れた。

二郎は「国の為の設計士で病気の妻帯者持ちの堀越二郎」というゲームはクリアしたものの、それでも「堀越二郎」としてのゲームはこれからも続くことに立ち返る。
あのポスターの背景の場所に二郎が「1人で」立って「生きねば」と書いてあったのはそういうことなんじゃないのかとEDが流れ出した時に全部が繋がった感覚がした。



世の中に希望がなかろうが自分が人生の目標を達成してしまおうが疲れようが
人生っていうゲームだけはやめちゃったらおしまいなのだ。
「死んだらおしまいだ」と言うのは簡単だしよくあるんだけど、
そうじゃなくて「生きねば」って表したとこがなんか良いなと思ったし好きだった。


と、いうここまでを表現したこの作品は美しいと俺は感じた。
と、同時にこの作品を作ることによってそれを表現しきった宮崎駿ってもしかしたら天才かもしれないと俺は思った。