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ガッチャマンクラウズ7話まで見た。

感想 思いついた事

ガッチャマンクラウズを7話まで見た。
気になったことをまとまってないけどちらほらと。


・GALAXってtwitter的なものが出てきて、「これがこう言ってるから!」の一点張りで説得しようとしてる人が怖い。
で、大人(わりと高齢の教員とかパイマンとか)はわりと懐疑的で、

  • (便宜的に言うと)若者→(消防とかの)権威よりGALAXの地震の時とかの実績だろ
  • (便宜的に言うと)大人→GALAXなんてうさんくさいよ消防とか警察に任せようよ

っていう対立になってるんだけど若者にとってはGALAXも十分に権威として見えてるよなーと思った。
つまり、「基本的には信頼することで何をやっても信じる」のが権威だとしたら、
GALAXの指示に従う若者も消防頼りの大人と同じようにそれを権威として見てる思考停止型じゃね?


東のエデンは滝沢含むセレソン達(エリート)の「並行してる正義」で少数のエリートが民衆を引っ張る感じだった。
んじゃこっちはどうなのかと言うと今は

  1. ガッチャマンが大衆を助けることで維持するか、(エリート)
  2. 累+GALAXで皆で革命を起こすか、(エリート+民衆)
  3. 「GALAXでさぁ、政治とかもやればいいんじゃね?」(民衆)

の3つなんだよね。
で、はじめはどっちかというと民衆に近いのにガッチャマンに選ばれちゃって、
ポジションがセレソンに選ばれちゃった東のエデンの滝沢と似てるんだよね。
滝沢は最終的に日本をうまく回すには「損な役回りやる奴」である「王様に自分がなる」っていう結論を出したわけで、
んじゃあはじめはどういう結論を出すんだろうね?
5話とか6話では「いや、消防もGALAXもどっちもいるんっすよ」っていうことは言ってた続きが気になる。


・今んとこカッツェがいわゆる「悪」として出てきてるんだけど、カッツェ自体の行動が悪っていうよりはたぶん
牛乳事件の時に率先して行動してた人達のような「善意ベースの(相対的に見て)悪行」こそが一番恐れるべき事なんじゃね?
みたいなことなんだろうか。わかりやすい「正義vs悪」って感じじゃなくて。
累が電話で1対1で説得に失敗したクラウズの1人のように、
全員がレベルアップして行動できるようになるのは1つ良い事ではあるけれども
(少なくとも累にとっては)悪い奴も出てくるよね。そこんとこどうする?
っていうくだりがあったように、そこらへんが悪として話が進んでいくのかなー?

とりあえずカッツェとO.Dらへんは本来のガッチャマンを見ればわかりそうなことがちらほらありそうだなと思う。




・タイトルの「ガッチャマン・クラウズ」って、ガッチャマン(エリート)とクラウズ(民衆)ってことなのかなー?

・ストーリーは面白いんだけどはじめちゃんのキチっぷりが見る上でなかなか辛いのでそこが。