人が人を測るという話

考える事にどれだけストイックになれども
練習する事にどれだけストイックになれども
結局のところ
「人がした活動を人が評価する」
という形をとる以上、
「人に好かれている」というのはとても大きい要素だ。

ただ、現状
あまりにもそこに左右されすぎているように感じる。
というかそれってとても面白くないことをしてしまっていると思う。


人のすごさや物のすごさや計画のすごさっていうのを
自分も実行できる、参加できる、とまではいかなくても、
少なくともそれがどれぐらいすごいのか的確に測ることができるようしないと、
「そいつに好感を持ってるかどうか」だけで判断しちゃって
蓋を開けてみれば「計画はクソでした」
みたいな惨劇が起こってしまう。


ものさしをできるだけ長い物も測れるようにしておかないと
とてももったいない事になるだろうなという予感はする。


じゃあどうすればいいのかって話だけど
もうとにかく色んな物や最先端の物を数見たり触ったりし続ける
しか無いだろうしそこを分けるのは
個人の好奇心の問題なんだろうなと思う。



ただ、現実問題として、
年功序列がこびりついてる環境で、
「歳に関係なく測るのがうまい奴を上に置いて決定権を持たせる」
というのは、

1.その人を上に乗せるのが人事制度の上で難しい
だろうし、
(上に立つ時に求められる要素と下にいる時に評価される要素が別だから)
2.単純に心象の問題で「なんなんだ歳下のくせに」
という高校生のような事を言い出す人を黙らせるのが難しい

だろうなというのはまた少し別の話として存在してる。
いずれにせよめんどい。